跡地(暫定)

さてと、どうすっかなこのブログ

人類は衰退しました 9巻読了  ※記事の後半にネタバレあり

 文字を見る機会がネットに奪わすぎて活字に全く触れてない勢なので数カ月前に出たラノベを今更読み終わる。
せめて少しでも活字に触れようと図書館で借りてきた本を期限ギリギリ延滞テクニックで貸出期間をダラダラ伸ばして読むのに忙しくて後回しにされてたってのも大きな理由だけど。


あー田中ロミオ作品だわ、これやっぱ田中ロミオ作品だわ(ネタバレなし感想)

 田中ロミオっていうとナウで健全なヤングにとっては「ガガガ文庫の人」なのかも知れないですが、僕としては「シニカルエロゲの人」なのですよ。
山田一と同一人物」は少し世代が違うかな、家族計画は泣いたけど。
ロミオがシナリオ書いたエロゲには「退廃的」「コミュ力高いくせに非コミュっぽいキャラが多い」「ファンタジー要素はあるが話は生々しい」「生きづらさが漂う」「ネット界隈的なパロディネタ」って要素が含まれがちなんですが、というかファンタジー要素以外はだいたいどの作品にも含まれているのですが、これらの要素は美少女ゲームというジャンルを離れてもがっつり受け継がれているのですよね。
 特に人類は衰退しましたシリーズは田中ロミオ要素が余すところなくつめ込まれていて、主人公の性別男にしてヒロインもう数人加えたらエロゲのノベライズにしか見えなくなるんじゃねーかなってぐらいのそれなんですよ。
最終巻でもその方向性は受け継がれていて、ラストに向けて主人公が本気出して行動しようとする展開や、何か話が急に哲学的になってきて色々作品のテーマまとめ始める感じとか、ハッピーエンドなんだけど少し寂寥感が漂う感じとか、ほんと「いつもの田中ロミオゲーじゃねーか!」としか言い様がないんですよ!
それが良いか悪いかで言えばもちろん良いことなのですよ。しかしそれでもここまで田中ロミオゲー終盤っぽさが漂うとはいやー流石ロミオだわ。何書いてもロミオになる。これはね、すっごい良い事ですよ奥さん。だって田中ロミオ作品は(合う人にとっては)めちゃくちゃ面白いんですから。
 あかん、ストーリーの核心を畳む巻の感想をネタバレなしで書こうとしても何書いたらいいのか分からん……。えーっと……、銀河鉄道の夜って哲学とかネガティブ入ってそうな界隈で妙に人気あるよね。あかん、これで終わってもうた。


~~~~~~~ネタバレ回避用切り取り線~~~~~~~


















// これぐらいあれば大丈夫っしょ













~~~~~~~ネタバレ回避用切り取り線~~~~~~~

確かに人類は衰退していました(ネタバレあり感想)

 うーん実に田中ロミオですね。
CROSS†CHANNEL最果てのイマを思わせるような、救われているようで救われていないようで、でもやっぱ本人たちが救われていると思ったならそれでハッピーエンドだよねっていう終わり方でしたね。
最後の方で「この作品にしてこの題名あり」と思わせてくるのも実にロミオです。

 数カ月前に読んだから良く覚えてねーやな人向けにザっと説明すると最終巻の最も衝撃的な部分は
・主人公達は人類ではなく妖精だった
・助手さんだけが最後の人類だった
でしょう。
作中に何度か出てきた「妖精さんが今の人類」というのはこれの伏線だったのです。

 主人公達が妖精さんの進化形であることはアカシックレコードじみた銀河鉄道の夜で人類の歴史を見てきたおじいさんの口を通じて語られています。

『人間になれたな。そういった決断ができるのは人間だけだ。長い時をかけてそこまで辿り着いたのだ。大断絶を超えてな』

『人類史の授業をすっ飛ばすから、そういうことになる。おまえには、いや我々には、力がある。未分化の頃に体の外に追い出してしまった力が』

『人類は自力では超えられない壁に直面し、衰退した。冷たい世界で生きていくには多様性が必要だったのだ。人類以降に台頭してきた種族として、先人を模倣しつつも同じ轍を踏んではいかんと思うだろう?』

「でもわたしには……力なんて」
『憧れがそうさせた。模倣するあまり、心の底に追いやってしまっただけだ。我々がなりたかったものを思い出せ』

 この作品世界において妖精さんは魔法のような力が使えます。
9巻だとコーラ瓶や砂を宙に浮かせたり物体にありえない強度をもたせたりしています。
そして、わたしちゃんにもそんな常識を超えた力がある、そうおじいさんは語っているのです。
この巻で判明しますが、妖精さんは最初の内グレイのような幽霊のような存在でした。
それが人類に憧れる内に少しずつ人間の姿に近づいていったと描写されています。
そして妖精さんと人間の大きな違いとして「魔法が使えるか否か」という差があるとも書かれています。
妖精さんは魔法のような力が使える。
主人公もその力が使える。
つまり
妖精さん=魔法が使える=わたしちゃん=妖精さん
ということです。
今の人類は人間になろうとした妖精の末裔だったのです。
余りにも人間になろうとしすぎて「自分が妖精だった」ということを忘れてしまったため力を無意識にしか使えなくなっています。



 さて、わたしちゃん達は元妖精であったわけですが、ならば旧人類は絶滅してしまったのでしょうか?
いいえまだ生きています。
 助手さんがその最後の生き残りだったのです。
これもおじいさんが

『彼は魔法が使えない。この地球上でただひとりな。だから彼の言動は印象が薄いのだ。なにしろひとりだけ規格が違う。本来は憧れられる対象のはずが、我々の意識が変わってしまったからな。視野から外れてしまうのだ。だが今回のこともそうだが、イマまでもその優れた生存能力で、魔法なしで自力で生き残ってきたと思われる。おまえのあと追っかけてきたんだぞ?実にたくましく、いじましいじゃないか』

と述べていることから分かります。
 私は逆に助手さんが新たに生まれてきた人類と妖精のハーフで、人類衰退の象徴みたいなもんじゃないかなと思っていたので少し驚きました。
完全に逆です。
スリードに引っかかったのか、自分から勝手に変な思い込みをしてたのかは分かりませんが、ここはミスリードにしてやられたと思った方が気持ちよさそうなのでそう思うことにします。

 また、この「視野から外れてしまう」という描写から地球の表面を覆っていたはずの文明がなくなってしまった理由が『現人類(元妖精)の側が認識できなくなったからだ』ということで説明されました。沙耶の唄みたいな感じですかね?



 少し長くなりましたが、つまり人類は衰退しましたの世界には人類は一人しか居ないとはっきりと描写されてしまったわけです。
これは割りとディストピアです。
人類が大分目減りしているのは知っていても、ほぼ滅んだも同然になっているというのは驚きです。
1人残っているし、これからおねショタで増やせばいいじゃんということでハッピーエンドになってはいるのですが、
少しほろ苦い感じはします。
人類がこんな根性無しだったなんて……という淡いガッカリ感が読後にはありました。
この感じは実に田中ロミオですね。
CROSS†CHANNELとか「これはこれでハッピーエンド、でもちょっとほろ苦い」って終わり方でしたよね。
今回もそんな感じです。

実にロミオだった(ネタバレ感想続き)

 もうちょっとだけ続くんじゃよ。
さきほど述べた通り、人類は衰退しました9巻にはハッキリとわたしちゃんは実は妖精だったし魔法も使えると描写されています。
そんなわたしちゃんや妖精が使う魔法の正体は

『星に残された"考えるもの"たちはいくらでもいる。古い機会、ネットワーク、動物や無視、稲妻までもが思考の明滅だ。そうした演算的挙動と我々が無意識に押しやった力が結びついた時、どういうことが起こると思う?』

『いいか、手をこまねくんじゃないぞ。多様性の間を取り持て。でなければ未来はない。新たな繁栄のためには、いろいろなものと手を取り合っていかねばならんからな。知恵を出し、力を合わせろ。おまえが仲介しろ。あらゆる命の中心で、取り持つことのできる唯一の種族としての貴い責務を果たせ。しっかり見張っているぞ、いいな?』

……どうすれば、あなたは助かるの?
船が呻くように震えます。どうしてほしいか、本人がよく知っている。
あとは動かしてあげるだけ。手足を付けてやれば、本人が勝手に動きます。
「――修理を」
「らじゃー」「けーおつです?」「やります?」「やらされます?」「ぐんてじさんしてきた?」「ぱーっといこー」「れっつらー」「れっつぱーりー!」
一面に花が咲き誇るように妖精さんが咲きました

という描写から「この世界に存在する様々な物事に力を貸してもらえるように頼む力」だと推察できます。
この力を使うときには妖精さんが現れます。
その正体は若干ぼかされていますが「魔法的な力が行使されている状態のイメージ」、もしくは「現人類(元妖精)が子供から大人になる際に落とされていく妖精らしさ」だと解釈できます。
「地球の記憶」だとか「妖精力(ちから)とでも言うべき相互作用が作っている場そのものから這い出してきた何か」とかの解釈も可能です。ぼかされまくってますね。ある意味ロミオ作品っぽいです。



 そんな魔法とか使えちゃう妖精が人間さんに取って代わった理由はおじいさんが下のように語っています。

『心の光だ。情緒的なものだろうな。光がある方向に、全ては向かう。たくさんの別世界があったとして、光があるのはここだけなのだ。それは闇の中のともしびだ。だから妖精は人の模倣をしたのだな。光りに包まれるために。寂しさと虚しさ、そしてあらゆる無意味から逃れ出るために』

つまりは妖精は人間の心の光に憧れて少しずつ人類へと近づいていき、やがて自分が何者だったのかも忘れてしまい力の使い方も忘れてしまったということです。
「心じゃよ!」です。
「人間の心は何だかんだきれいなんだよ!」です。
これまた実にロミオ作品ですね。
 この結論に近い描写は9巻の中盤にも出てきます。

《わかったぞ! わかったぞ! わか…… 魂が立ち現れる唯一の層が現実。 それ以外はすべて暗闇》
廃墟の壁にある宗教的啓発とおぼしき落書き。

これを書き残したのがようやく人間になれた妖精なのか、それとも衰退の果てに真実に辿り着いた人類なのかは分かりません。
しかし、この描写に田中ロミオ氏の「実体を持って生きることこそが全て」という思いが込められている事は確かだと言えるでしょう。
田中ロミオ作品は最初の内は何だかんだ鬱っぽい感じで進みますが、終盤になってくるとカウンセリングが終わった人間のように健康的な思考を取り戻していく傾向にあります。
ラストで「生きることが大事!」「死ぬ前に戻っても暗闇しか無いよ!」という描写があるのは実にロミオ的です。

 妖精の力が「周りの力を借りる能力」だというのも何だか田中ロミオっぽい感じです。(何でも田中ロミオっぽい言ってるな、自分)
非コミュが主人公→何のかんのあって人間関係の大切さに気づく」という展開はロミオ作品の王道です。
今回はそれのスケールが森羅万象にまで広がっています。流石に9巻続いた作品となると悟りの規模がデカイですね。
ラストシーンのわたしちゃんは今まで出会った多くの人達と協力して調停官の仕事をやっています。
最初は世間と馴染めずにおじいさんとすら上手くやれず取り替え子だと言われていことを思うと余りにも大きな成長です。
地球を受け継いだ新しい人類はみんなで協力して上手くやって行けてます。
それは妖精さんの世界ではありますが地球は平和に回っています。
『人類が地球の頂点に立ち続ける』という大きな物語の上ではそれはバットエンドなのでしょう、
しかし1人の少女や地球全体にとっては「妖精さんはすぐそばにいまし、世は全て事もなし」でパーペキにハッピーエンドなのです。
実に田中ロミオでした。
やっぱロミオ作品は面白いな―と改めてそう思いました。

短篇集も楽しみです。


PS:

 9巻では「お菓子づくりの能力」を「調停官の資質」とみなすような描写がありました。
「お菓子を作るためのさじ加減を上手くやる力」を「バランスよく物事を取りまとめる力」と解釈し「妖精の力を使うことが出来る新人類」に必要な能力だとまとめられているのです。
調停官の仕事が「妖精さんと上手くやっていくこと」だと言うことは、正体がわかった今となっては「自分たちが元々持っていた妖精の力と上手く付き合っていく」のとニアリーです。
そのさじ加減を謝ればまた人類は目標や方向性を失ってしまい再び衰退してしまうかもしれません。
そこを上手くやっていくのが調停官の仕事だったわけです。ビフ酒では駄目なのですね。力を暴走させてないんだからそれも有りなのかも知れないですが。

 そういえばキルラキルではコロッケを「何だか良く分からない物を包んだ素晴らしい物」として描くことで「何だか良く分からない物を排除せずにまるごと包み込んでいく生き方」を肯定するラストにつなげていましたね。こういった小道具をテーマとあわせて大きく使う展開は「クサい」と言ってしまえば「クサい」のですがそれでも結構来る物があります。小さなピースがあるべき場所に収まった時に大きなジグゾーパズルが完成したような、そんな快感がありますよね。