跡地(暫定)

さてと、どうすっかなこのブログ

ブログ投稿前に添削する事へのモチベーション

 昨日、ブログを投稿する前に添削するのを忘れてしまい、記事タイトルに誤字を残してしまっていた。具体的に言うと『ゲームのトロフィーや実績』と書こうとした部分が『ゲームのトロフィーや実績実績』になっていた。こういったミスは今後は減らしていきたいので、反省を込めて「ブログを投稿する前に添削をするモチベーションの維持」について考えてみたい。

そもそもどうして添削が必要なのか

 人間は間違える生き物だからである。
 誤字脱字のある文章が読みにくいからである。
 誤字脱字以上に大きな間違いに気づけることがあるからである。

 
 誤字脱字はほんの些細なミスで発生する。それこそ空気のように日常のすぐ側に存在していると言ってもいい。誤字は簡単に生まれる。キーのタッチミスや変換ミスであっという間に一つまた一つと誤字脱字のある文章が完成する。その誤字脱字に書いてすぐに気づけることもあるが、気づけない事も多い。どうしてそうなるのか、それは人間には誤字脱字があっても文章を読むことが出来るだけの能力があるからだと自分は思う。一時期『いりぎす の ケブンリッジ だがいく の けゅきんう の けっか』が話題になったが、人間の脳には多少の文章のバグを乗り越えられるファジーな認識能力が有る。そのファジーさが誤字脱字のある文章でも読めるようにしてしまい、結果として書いてる最中に誤字に気付く事を困難にさせている。誤字脱字は頭のなかで修正すればどうにかなる物も結構多いのだが、致命的な物も時折ある。それを回避するためにも誤字脱字は積極的に直していきたい。

 文章の添削を行う事で得られる効果は誤字脱字の排除だけではない。添削によって、文章やその中の論法が根本的におかしくないかを確認することも出来る。これは誤字脱字の排除よりも重要な意味を持つ。根本的に何かがおかしい文章は、見れば見るほど意味が分からない物であり、誤字脱字のように一瞬で意味を読み取れなくても考えていけば何となく言いたいことが分かってくるような物ではないからだ。サッと見ても意味が分からず、よく考えても意味が分からないのならば、それはもう文章として意味をなさないと言ってもいい。添削をすればそういった何かがおかしい文章を投稿前に握りつぶしてしまったり、修正して意味をなす文章にする事が出来る。

でもかったるいんだよな

 それなのにどうして自分は添削を怠ったのか?
 かったるいからである。

 添削 is かったるい。これはもう自分にとって確固たる事実だ。文章を勢いに任せてバーッと書いてサクッと投稿できることがブログの魅力だと自分は考えている。添削はそのブログの魅力をワンテンポ遅らせてしまう。「書き終わったぞ!」→「はい投稿!」というあの快感を引き伸ばして、「その前に読み直さないと」という非常にかったるい時間を過ごさせてくれる。しかし、そのかったるさに負けたくはない。どうにかしよう。

添削のモチベーション

 自分の文章を読み直して得られるものに目を向ければ添削は面白い(かも知れない)
 「自分で自分のブログ添削をする」ということは、「投稿前に自分のブログを読み直す」という事だ。それは「文章で整理された自分の考えを、客観的に見直す事が出来る良い機会である」とも言えるだろう。書くことで頭の中が整理できることはよく知られているし、それを読み直すことで整理された頭の中身を記憶しておくことが出来ることもまたよく知られている。ブログを書いてそれを添削することはそれを行う良い機会である。
 また、自分の文章を訂正していくことで『良い文章を書こうと努力した経験値』が蓄積されていていき、文章力が向上する可能性もある。
 添削はかったるいけど、そこに意味があると思えばモチベーションになる。日に10アクセスあるかどうかのはてなブロガーが「他人に良い文章を読んでもらおう」なんてモチベーションで添削をやっても上手くいかない。「自分にメリットがある」と思い込んで添削をやろう。早速、これを書き終わって自分の頭が少しは整理されたかどうかを添削を通して確認することにしよう。

PS:
添削の結果、

誤字脱字の修正が3箇所
文章自体の修正が5箇所
合計で 8箇所の修正箇所があった。
結構弄ったので「弄った結果何かがおかしくなっていないか」を今から確認してくる


PS2
再度の添削の結果、

誤字脱字と文章で1箇所ずつ直した。
どちらも最初に添削を行った時は問題無いと思った場所だったのだが、
もう一度読んでみたら直す必要が有ることに気づけた。
うむ、やはり添削は二回すべきだな。
二回以降はかったるいしいいや。