跡地(暫定)

さてと、どうすっかなこのブログ

ブログと日記は両立できる。ブログとSNSはどうなんだろう

 アカウントは明かさないけど自分はツイッターをやっている。ツイッターをやっていると時折「これブログのネタに出来るな」と思うし、ブログを書いてると「これツイッターで十分だな」と思う。正直どっちか片方だけあればどうにかなる気もする。「元々SNSミニブログなんだから当然」そういう意見もあるだろうし僕もそれには大いに納得する。
 140文字の制限なんてツイートの最後に「つづく」とか「1/3」「2/3」「3/3」とでもつければどうにでもなる。それならブログなんて書く必要がない。たまにそう思う。だけど纏めて一度に何かを話そうと思うときはブログの方がしっくりくる。140文字の世界で1000文字の話を次々投げつけるのはやはり何かがズレている。140文字ずつ投稿していき少しずつ変化していくのならそれはツイッター流だが、最初に2000文字分の文章を完成させておいてそれを15個に分割するのはツイッター流じゃない。「ブログでやれ」だ。そういった『長く丁寧に書くことで意味を持つ文章』を量産できる人にとって、ブログとツイッターは両方やる意味がある。だけど、僕のような人間はそんなのたまにしか書かない。週に1回や2回なら流儀を忘れたツイートをしたってフォロワーは離れていかないだろうし、そもそも流儀なんて最初からなくて全部僕の「こうあらねば」という思い込みなのかもしれない。
 ブログとSNSは両立するのだろうか、僕自身にとってすらその答えはまだ良くわからない。そもそもなんでブログ始めたのかもよく分からないけど、それはツイッターも一緒だ。


 対して日記とブログ(SNS)は両立する。ネットに書いた文章は世界に羽ばたいていく。巨大なWANの大海を通じてネット回線の通じる範囲にいる全ての人間が『僕のアカウント』が昨日何を言ったのかを確認しようと思えば出来る。しがない一個人のアカウントでも何かの間違いで炎上してしまえば大衆の目にさらされる。人には知られたくないことが沢山ある。僕はアカウントの中の人が何て名前なのかも知られたくない。もしもどこかでやった自己紹介のあとで「田中一郎(偽名)君?もしかしてあのアカウントの中の人かい?」なんて聞かれた日には心がポッキリ折れてしまうだろう。僕の本名とアカウントの関係を知っているのは、一部の知り合いやサーバーだけで十分だ。
 そして、サーバーや知り合いにも知られたくないことだって沢山ある。そういった物事を書き留めたい日が結構ある。『人に言いたくない事ほど言葉を使って頭のなかを整理したくなる』という仮説を今思いついたぐらいだ。そういった誰にも知られたくない事を整理するのに日記は役に立つ。自分だけが読む自分のための文章。未来の自分すら読まずに今の自分がただ書きなぐるだけの文章。そういったモノを生産できる場所として日記は確固たる地位を持っている。設定画面でミスクリックしたらネット中にばら撒かれてしまうかも知れない非公開ブログ何かとは比べ物にならない信頼性がある。
 日記とブログは両立する。多分ネットにどれだけ多くのサービスが生まれても、ネットに公開され無い形での雑記はその地位を守り続けることが出来る。王様の耳はロバの耳と吐き出せる場所が必要な私のような人種がいなくならない限り。