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さてと、どうすっかなこのブログ

何が面白いのかが分かりやすい作品は素晴らしい ~なぜ萌えアニメの鬱展開は嫌われるのか~

「何が面白いのか分からないからクソ」⇔「面白さが分かり易いから良い」

映画やゲームの感想を見てると「こんなの何が面白いんだよ」という言葉をよく目にする。
見飽きた言葉だから「はいはいアンチアンチ」とスルーしそうになるけど、
この言葉はエンターテイメントに接する際の最も基本的な部分を的確に射抜いた言葉であると思う。


「何が面白いのか分からないからクソ」というのは逆を言えば、
「何が面白いのか分かりやすい作品は素晴らしい」という事になるはずだ。
実際その通りだと自分は思う。

「ここが良い」といえる部分があるから作品を消費する

たとえば毎クール新しいアニメが始まるときに公式HPや第1話を見て試聴するかどうかを決定するときに、「このアニメはどこが売りなのだろうか?自分がこのアニメを見るとしたらどこに惹かれてそのアニメを見るのだろうか」と考えながら作品を選んでいくだろう。
脊髄反射で「キャラ可愛い!よっし見るか!」「原作ファンの俺様が出来を確認してやる!」と視聴決定したアニメでも、「キャラの魅力に惹かれた」「原作が好きだから」という風にいつの間にか「どこを楽しむか」が自分の中で見えている。
逆にイマイチそうだと思った作品は「どう楽しめばいいのか分からない」という状態になっているだろう。
消費者にとって作品ごとの「ここがこの作品の魅力」と言える部分があるのは非常に重要な事だ。売上がどうこうというよりも、消費者が作品を楽しめるかどうかにおいて「ここが魅力」と自分自身が感じられる部分があるかどうかは非常に重要なのだ。

魅力が分かり易い作品はありがたい

魅力が分かり易い作品は消費する側にとって非常にありがたい。
自分で楽しむのも簡単だし、合う合わないの判断も容易で、人に薦めるときにも「これこれこういう所がいいんだよ」と簡単に説明できる。物がそれだ。
逆に視聴者にとって厄介なのは「魅力が分かりにくい作品」や「途中で方向性が変わる作品」だ。
そしてそれに当たるのが「萌えアニメの鬱展開」なのだ。

萌えアニメの鬱展開は魅力が分かりにくいから嫌われる

アニメや漫画で「鬱展開」と呼ばれる「ネガティブなストーリーや空気感がしばらく続く展開」は嫌われがちだ。
特にそれまでほのぼの日常系だった作品でドンヨリとした空気が流れると視聴者はブーブー文句を垂れるものだ。
これは鬱展開に入った作品が「魅力が分かりにくい作品」「方向性が変化した作品」に該当するからだ。
それまで「可愛いキャラクターが幸せそうにしてるの見てるとこっちも幸せわ~」と思いながら話を追っていた消費者に突然陰鬱な物語が突きつけられば、人によって程度の差はあれど消費者は「どこがその作品の面白さなのか」を見失ってしまうだろう。
面白さを見失ってもすぐに鬱展開の中で新しい魅力を見つけられればいいが、それに失敗すればそれまでののんびりとした物語に戻るまでの間、その作品はその消費者にとって「何が面白いのか分からないクソみたいな作品」でしかくなるのだ。

自分で面白さを見つけるのもいいもんよ

「何が面白いのか分からない作品はクソ」「何が面白いのか分かる作品は素晴らしい」というのは、「面白さを見つけてしまえばその作品は楽しめる」ということでもある。
つまりは消費者が「面白い」と感じてしまえば、作り手からみてどうあれその作品は「面白い作品」なのだ。
たとえば作画崩壊アニメとして知られるMUSASHI -GUN道-は、一部の視聴者が「作画崩壊しすぎてて面白い」と判断したために一部のマニアにとって「面白い作品」として扱われている。
作品の面白さを決めるのは結局の所一人一人の「面白さを探し出す力」なのかも知れない。
でもやっぱモノ作りしてる人達には「面白さの分かりやすい作品」を目指して欲しいよね。
おわり