跡地(暫定)

さてと、どうすっかなこのブログ

釣り逃し続けた魚は小さくなる

 最近は妖怪ウォッチとかいうのが品薄商法してるとか何とか。
まあ品薄商法なんて言われるのは収穫逓減の法則とか設備投資とかそういうの全然分かってないや分かっていても面白そうだから忘れたフリをしてる人達がワーワー言ってるのがほとんどだと思うけど。
とはいえ「買えないユーザーがわんさか居ようがおかまいなしに売り切れると確信できる数だけ作る」という方針が取られてる商品が沢山あるのは事実。
イベントの限定商品なんかもろに「何度も作って薄利多売するよりは一気に作ってプレミア価格つけて売り抜いたほうが儲かるし管理も楽ちん!」という作り手の思いが滲み出ている。
資本主義的にそれは何も間違ってはいないと思う。
それでも徹夜組やチケットオークションは間違ってると思うけど。
まあ自分はコミケ行ったことないからよく知らないけど。

 世の中には「欲しかったのに手に入らなかった物」が沢山ある。
生まれつきの才能とか、学生時代の恋の思い出とか、人生を生きるのに絶対手に入れたかった物が何故か手元になかったりする。
それでも不思議な事に、そういった物もいつの間にか諦めることが出来るようになっている。
運動神経が生まれつき悪かった事も、階段登りや荷物持ちぐらいでしか体力を使わなくなった今となってはどうでもいい事だ。
「釣り逃した魚は大きい」なんて言うけど、その大きさは一時的にはどんどん大きくなるもののやがて縮小が始まり最後は本来のサイズよりも小さく感じられるようになっている。
その通り、「酸っぱい葡萄」の寓話だ。
手に入れ損なったばかりの頃はとびきり甘いと思い込み、絶対手に入らないとわかれば酸っぱくてたまらないと思い込む、しかし本当は甘酸っぱさはその中間ラインにある。
人間は何だかんだ諦め上手だ。
自分が物心付く前に売られたゲームの初回特典とか、お金が厳しい時期に出されたフィギアとか、そういう物ならば金さえ出せばオークションで手に入るはずだ。
しかし手に入らない時期が続きすぎて「今更どうでもいいや」と必死に手を伸ばす気はなくなる。
そうして本当に欲しいものだけをいつまでもこがれ続けるのだ。

はぁ……俺も超可愛い幼なじみとお隣さんで恋愛したかった……