跡地(暫定)

さてと、どうすっかなこのブログ

『主人公と結ばれるヒロイン』というマクガフィン  ~映画とかって大雑把な恋愛要素多いよね~

 フィクション作品、とりわけハリウッド映画を見てると主人公の達成目標に「ヒロインと結ばれる」って要素が入ってる作品がやたらと多いように感じる。そしてその大部分がヒロインが主人公と恋に落ちる理由が凄い大雑把に思える。幼なじみとか同僚だとかで軽く接点がありそっから吊り橋効果で仲良くなったと思ったらいつの間にかキスシーンまで行ってる作品ばっかり。
 映画作りにおいて『主人公はヒロインと結ばれる』って要素をとりあえず入れておくかという前提があって、それに合わせて適当に恋愛シーンを挟んでいってる作品が多いように感じる。どういったヒロインと恋に落ちるか、どうして恋に落ちるかは重要ではなく『主人公がヒロインと結ばれる』という部分だけが作品に必要とされているような。これはまさに「マクガフィン」。
 
マクガフィン - Wikipedia
 とはいえ『主人公がヒロインと結ばれる』という物語の展開は映画をシンプルにするのには多いに役立っている。ヒーローが誰かを守る決意を固めるためのギミック、主人公が人間関係に思い悩むための仕掛け、普段はマッチョないい男が困難によってすっかり落ち込んでしまった状態から立ち直る展開において主人公を復活させるための小道具、そんな「マクガフィン」として「主人公が結ばれるヒロイン」が設定されている作品は物語として凄い分かりやすい。
 『俺の女を守るために頑張るんだぜ』とか『女に慰められちゃうなんてマッチョな俺が恥ずかしいぜ。いいとこ見せて挽回しちゃうぜ』といった要素が含まれている映画とない映画ならどっちが多いのだろうか。「調べてみないと分からないな」と考えてしまうのだから、少なくとも半分近くの映画はそういう要素を持っている。
 正直自分はそういった要素があんまり好きじゃない。恋愛は脚本の道具として万能すぎてどの作品も似たり寄ったりになっちゃう気がするから。でも最初から恋愛がテーマの作品に文句をつける気はない。マヨラーが何にでもマヨネーズをかけるみたいに、映画にとりあえず恋愛要素を入れて脚本作りましたみたいなのは好きになれんのよ。
 映画じゃないけど最近仮面ライダー鎧武がそういった脚本になりつつある。最初の内はそれぞれに様々な思惑を持たせていくはずだったんだろうけど、今は主人公三人がヒロインを巡って争っているだけの脚本になってる。メインキャラの1人が「ヒロインの幸せを考えた結果、頭が混乱してきて主人公とぶつかって敵対化」という事をやって20話ぐらいそのネタを引きずってきているのに、今度は「強さこそが全て」という信条を貫いてきたライバルキャラクターまでもが戦う理由として「ヒロインのためなら世界を滅ぼしてもいい」みたいな事言っちゃうのは何だかなぁ……。「強さこそが全ての世界を作る!ヒロインをぶんどるのはそのおまけだ!」ぐらいならいいけど、むしろヒロインがメインっぽい言い方してるんだよね。神話がモチーフだから戦う理由に女性が選ばれるというのは納得出来ないでもないんだけど、ちょっと強引すぎるのと一本調子すぎる。
 少し前のだとパシフィックリムもそういった大雑把な恋愛があるかと思ったら最終的に「俺はお前を女じゃなくて相棒として見てるぜ」的なオーラ出しながら最後まで突っ切ってくれたので嬉しかった。男の世界を描く映画で女キャラも男らしいのはナイス。恋愛は便利な要素だけどそれを使うことに固執したり、とりあえず使っておくかと乱発すると作品が濁っちゃう事もあるので、作品に合わせてその度合を変えてくれるのは見てる側としてはかなり大事。範馬勇次郎が「上等な料理にハチミツをぶち撒けるが如き愚行」とどっかで言ってたけど、アレに近いことが起きてる作品はちょいちょい見かける。