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さてと、どうすっかなこのブログ

僕がソシャゲに飽きたわけ・辞めたわけ 10の理由とその説明

 既に世界中で10億人ぐらいが同じような結論に辿り着いただろうし、100万人がブログやツイッターに同じ事書いてるだろうけど自分も書いてみる。

結論から言うと

1「同じことの繰り返しでしかないから」
2「データが積み上がるだけでスキルもお金も積み上がらないから」
3「データが積み上がるに連れデータが積み上がる刺激が薄れていくから」
4「ゴールがないがゆえにどこまでも引き伸ばしが続くから」
5「ゲーム内容は普通のゲームの方が面白いから」
6「ゲーム内の繋がりも所詮は利害の一致でしかないから」
7「可愛いキャラの画像が見たいならpixivでも行ったほうが手っ取り早いから」
8「スタミナやデイリーに縛られて可処分時間が減るから」
9「スタミナやデイリーが生む強迫観念がストレスになるから」
10「とにかく時間やお金の面でコスパが悪いから」

この10個に自分がソシャゲをやらない理由は収束する。

半分以上がクッキーババァことCookie Clickerをプレイした事がある人なら嫌でも分かってるだろうけど、折角だし一つずつ説明していって自分の頭を整理してみる。

1「同じことの繰り返しでしかないから」

 同じことを毎日毎日ヘビロテしたら嫌でも飽きてしまう。焼肉食べ放題90分はひたすら肉ばっか食っていても幸せだけど、年中ぶっ通しで焼き肉を食うのは肉食獣でもなければお断りだろう。
 ソシャゲはスタミナの関係で毎日やり続ける事を強いられがちになる。そのせいで「少し飽きてきたのにプレイする」という状態に陥ってしまいがちで、結果として物凄いスピードで飽きが加速していき遂には「完全にソシャゲに飽きてしまう」。

2「データが積み上がるだけでスキルもお金も積み上がらないから」

 ソシャゲをプレイしていると最初のうちはスリーマッチパズルだったり効率プレイだったりの知識やテクニックが磨かれていく。
 しかしそれは最初のうちだけですぐにデータだけが積み上がるようになっていく。そしてそのデータはあくまで1ゲームのステータスに過ぎず、現実でのステータスには全くならないし他のゲームに持っていく事も出来やしない。

3「データが積み上がるに連れデータが積み上げる刺激が薄れていくから」

 ソシャゲを始めたばかりの頃はパーティーを強化していく楽しみがある。しかし段々とカードやキャラの成長速度は落ちていきやがて誤差のようなものになっていく。ほんの僅かなステータスの強化という報酬のために大量の作業をするのは実に刺激に欠けるものだ。
 インフレがすごい勢いで加速していくソシャゲもあるが、それをやられると今度は愛着のあったキャラとの別れなどが発生していき冷めてしまう。

4「ゴールがないがゆえにどこまでも引き伸ばしが続くから」

 ソシャゲにはゴールがない。人気のないソシャゲがサービスを終了することはあるが、人気のあるソシャゲはどこまでも延命されていく。
 延命が続くに連れて『3』で述べたデータが積み上げることへの刺激の薄れは確実に悪化していく。どこまでも遠ざかるゴールによる効力感の低下も見逃せない。

5「ゲーム内容は普通のゲームの方が面白いから」

 最初のうちはシンプルなシステムからくる面白さがあるかも知れない。しかしソシャゲのゲーム性はどれもシンプルすぎる。他のゲームが手を変え品を変えプレイヤーを楽しませようとする度合いと比べるとソシャゲは奥行きが無さ過ぎる。結果として楽しめるのは最初のうちだけになる。

6「ゲーム内の繋がりも所詮は利害の一致でしかないから」

 ソシャゲにおけるフレンドやギルドの繋がりはごくごく一部を除いて「プレイヤースキル」や「人間性」ではなく、「持ってるカードの質」や「スタミナの消化量」によって維持される。使えなくなった仲間はいつの間にかポイされる冷たい関係ばかりがそこにある。

7「可愛いキャラの画像が見たいならpixivでも行ったほうが手っ取り早いから」

 多くのソシャゲがキャラの可愛さや格好良さを一つの売りにしている。しかし一枚のカードを手に入れるのにはそれなりの資金や時間がかかる。pixivなどのサイトに行ったり好きな作家の漫画を読めばずっと効率よく可愛い絵などを見ることが出来る。

8「スタミナやデイリーに縛られて可処分時間が減るから」

 ソシャゲ最大の問題がこれである。とにかくソシャゲは時間を食われる。電車でスマホを取り出している時間にニュースや本でも読んでいれば、家でブラウザゲーに張り付いている時間で何が出来ただろうか。今日はソシャゲを控えようと思っても「スタミナ(デイリー)が勿体無い」という感覚が本来やりたくないゲームに自分を向かわせる。

9「スタミナやデイリーが生む強迫観念がストレスになるから」

 「スタミナ(デイリー)が勿体無い」「次のイベントまでに戦力を整えなきゃ」そういった考えが心にあると「やりたくないゲームをやる」or「ゲームに遅れを出す」という二者択一の間で揺れ動いてしまう。どちらを選んでもストレスが生まれるのがこの選択の恐ろしい所だ。

10「とにかく時間やお金の面でコスパが悪いから」

 「ソシャゲをやる時間でもっと面白いゲームが出来る」「ソシャゲに使う金でそのもっと面白いゲームが買える」結局の所、これが自分がソシャゲを辞めた大きな理由だ。同じ「ゲームをやって楽しい時間を過ごす」ならソシャゲよりも「短い時間でより大きく楽しめて、やたらと金を要求しないゲーム」をやった方がQOL(クオリティ・オブ・ライフ)が高まるのは火を見るより明らかだ。



それでも飽きるまではソシャゲは楽しかった

 10個も理由をあげてソシャゲをこき下ろしたけど、ソシャゲが完全にクソだと僕は思っていない。
 最初の内、確かにソシャゲは楽しかった。シンプルにステータスが積み上がっていく事はRPGなどの本質てな快感があった。育て上げたキャラクターが敵を蹂躙していくのには勝利の優越感があった。頑張ってイベントボスを倒し、手に入れたキャラクターには愛着があった。愛着のあるキャラクターを育て上げ、そのキャラクターが次のボスを倒していく雪だるま式の成長にはある種の物語性を感じた。
 しかしそれも最初のうちだけだった。やがて全ては色あせていった。微々たる強さの向上を求めてのやり飽きた作業、時には全く強さに影響がないようなただ愛着を証明するためだけの作業があった。余りにも薄っすらとした快感のために費やされる長い時間。無制限に遠ざかるエンディング、果てしなくやってくるスタミナをひたすら消費し続ける日々、自分自身に日々もたらされる86400秒のスタミナがゲームサーバーからやってくるスタミナにすり潰される毎日。積み上がる虚無感。虚無感と勿体無い気持ちの葛藤、やがてプレイすることもプレイしないこともストレスに変わっていく。ゲームとは、なんのためにするものだったのか。
 まあ結局は僕が飽きっぽい性格をしていて、そのくせ「コストパフォーマンス」だの「QOL」だのを考えてしまうような屁理屈野郎だっただけなのかも知れない。